短い夏が終わったのに今、子供の頃の寂しさがない
何が正解がわからない。
子供の頃、正解というのがすごく嫌いだった。
自分の存在とは?生きている意味とは?そこには正解がない。でも正解を探してしまう。
学力テストが大嫌いだった。すごくすごく難しい問題。正解できる人は一握り。
でも数人でも出来る人がいるのなら、僕が正解して意味はあるのだろうかと思っていた。
僕じゃなくていいじゃん。それなら、君に任せるよ。
僕は僕にしか出来ない事がしたかった。
僕にしか正解できない事がしたかった。
自分の存在。生きている意味。もちろん正解なんてない。でも正解を探してしまう。
それから僕にしか正解できない事を模索してきた。
正解を探すのではなく問題を探す。
それは果てしなく難しい事だとわかった。
当たり前だけど正解がないのだから。
僕がブレたら正解もブレる。
自分の中で勝手にプレッシャーを感じ、傷つけるのは僕以外。
僕は僕の事しか考えていない。
本当にすごくわがまま。
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最近、一生に一度の個人的な偉業について考えされられる事が起こりました。
高校生の時に同級生の友人がそれを成し遂げ、そこから怖くて何も考えずに逃げてきました。
僕にすごく似てる。自分の事しか考えていない、すごくわがまま。
もちろんわかってるよ。わかってるけど、止められないんだ。
誰も悪くない。誰も悪くなんかない。悪い筈なんかない。
これから僕たちも皆必ずその偉業を成し遂げなければならない。
その為には否が応でも前へ進んでいかなければならない。
だから僕はいつか来るその日に向けて前へ進んでいくよ。それも全速力で。
僕の中の正解は、その偉業を成し遂げてからわかる事なのだから。