幸せとインターネット
地方に住んでいると、自分とは幸せの定義が違うんだなって時々思う。
自分が幸福と感じることは、知的好奇心を満たす事。
知らない事が知れるという事は、自分の脳みそが0から1に変わる感じがして幸せを感じる。
そんな自分にとってインターネットは革命的なツールだ。
分からない事があって検索したら答えがでてくる。
ネットサーフィンをしていたら、思わぬところにたどり着き、思っても無い事を知れる。
ネットで調べても無い場合は、知恵袋を使えばどこかの誰かが教えてくれる。
月数千円のネット代を払えば無制限でそれが出来る。
ネットが無い時代は情報を得る方法は本やテレビが主体だった。
本で調べてみても結局たどり着かない事が多々あった。
江戸時代以前の昔はテレビもなく本も手に入らない。
どんなに気になっても、知りたくても、諦めて寝入るしか無かった。
例えば今の人と昔の人が同じ30歳だとしても、“質”で考えたら昔と今は100歳くらいの差がありそう。
そしてインターネットを使えば1000歳くらい差をつける事ができる。
それがインターネットであり、それがIT革命だ。
一方、地方ではネットリテラシーが本当に低い。
ネットを知らな過ぎて驚愕する。こんな素敵で便利なツールなのに、覚える気が全くない。
インターネットをそういう風に考えていないのか、いや、そもそも求めていないのだ。
推測するに、知的好奇心を満たす事よりも今あるものを維持する事が幸福だと考えている。
今まで培ってきた事を壊さずに、新しいものに恐怖し、守っていく。実に保守的。
いつまでも同じ環境が続く事はもちろん素敵なんだけど。
すごく、ものすごく素敵なんだけど。一度崩れたらもろい気もする。
自分はそれが心のどっかでつまんないって思ってて、創造を求めてしまうのだ。
もちろん創造には表裏一体の破壊が伴う。
それでも創造を求めてしまう。
ヒンドゥー教の三大神「創造(ブラフマー)、維持(ビシュヌ)、破壊(シヴァ)」は良く出来てるなって思った。
まさかの宗教オチ。